以下の写真を見てほしい。
松井章圭氏と緑健児氏が並んで写っている写真である。
松井章圭(左)と緑健児(右)
これは92年の『極真空手年鑑』に出ていた写真である。
かたや今、極真会館(松井派)の館長。
かたや今、新極真会の代表。
物心ついたときから極真空手がいろんな団体に林立してしまっているのを目の当たりにしてきた人にとっては、その分裂の経緯は詳しくは知らないだろうし、この2人が一緒になっている写真をみて驚くだろう。
この2者は、互いに別の道を選んで分かれたのではなのだ。
片方が○大学に進むためにあちらへいき、片方が△大学に行くためにこちらにいった、というような進路の方角の問題ではなかったのだ。
大山総裁が生きておられた時期には、極真と名乗る団体は1つしかなかった。 国際空手道連盟極真会館だけであった。
しかし、94年に大山総裁が急逝し、その遺言には自分の跡取りは松井にする、と認められていたのだ。 それによって1年間は、松井氏を館長にして極真会館は運営されていた。
しかし、あまりに性急すぎる運営内容や、議事をへて決定すべきことを松井氏が1人あるいは側近の2人か3人だけで決定したり、「総裁」の名は使わないという支部長たちとの約束だったにもかかわらず自分の名の後に使ったりと、あまりに不満の噴出する内容だったゆえに、全国の支部長の怒りを買う内容だったようで、95年の支部長協議会で松井氏の解任が決議されたのだ。
その内容については以下のページに書いたので読んでほしい。
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極真分裂の20年間を振り返る
私は、松井氏が第4回世界大会世界大会で優勝した時に、一緒に日本代表として戦った盟友たちの殆どは、松井氏につくだろうと思ったがそうではなかったようだ。
一緒に戦った盟友ということで、若干は贔屓目で見るのかと思いきやそうではかった。
その贔屓目で見ることも慮る余地のないほど、盟友たちは不満が起こっていたのだ。
その盟友たちの1人が緑健児であったのだ。
緑健児
しかし、その分裂後にどの格闘技雑誌も組織の1本化を願っていたがそうはならなかったようだ残念がら…。
松井章圭氏を支持する松井派と、大山総裁の奥様であった大山千弥子氏を館長として擁立する大山派と大きく2つに割れてしまったのだ。
その大山派も千弥子氏が館長を退職した後にまた割れてしまったのだ。
割れて出ていった団体が、極真連合会になった。
残った団体が、三瓶啓二氏を代表とする極真会館(三瓶啓二代表)と名乗ったのだ。 極真の決裂が決定的になり、もう1つにお戻れないと悟ったのは2003年の、その極真会館(三瓶啓二代表)が新極真会と言う名称に変更されたときだった。
名称もロゴも違う…もうこれで極真は1つになれないと思ったのだ。
それから、その極真会館(三瓶啓二代表)は代表を緑健児に据える決定をしたのだ。
当初は代表は任期を8年と決めたのであるが、そのまま緑氏が継続している。
新極真会の支部長の誰もが緑氏に不満を持たないでいるゆえに、そのことを議題に上げないのだろうか?
詳しくは知らないが、そのような気がしてならないのだ。
私が、彼の自叙伝である『太陽よりも輝いて』を読んだ時に、彼の幼少の生徒さんが、「緑先生が世界大会で優勝するように」と願をかけて、世界大会が終わるまで肉を食べないと決めて肉を一切たったようである。
こんなことまで自然に生徒さんに思わせてしまうとは…と私は胸が締め付けられそうになったのだ。
ここまで人望の厚い人であるとはと感動を隠さざるを得なかったのだ。
周知のように緑氏は1991年の第5回世界大会で優勝した。
そのような人望の厚い緑健児だからこそ、当初の代表の任期をすぎても継続していられるのだろうし、緑氏の人間性を奥深く探っても何らアラが出てこないのだ。
逆に言えば、そんな人望の厚い緑氏が離れていったほど、大山総裁急逝の94年にいかに怒るくらいの運営を松井氏にされていたのだろうか、と疑問が湧くのである。
94年に全日本大会が行われて、そこでベスト8入りした人間は無条件で次の年の世界大会の切符を得れることになり、そのベスト8入りした選手たちを緑氏が引率して特別トレーニングも施されていたのだ。
それくらい松井氏とは距離が近かったのだ。
しかし、95年の春に分裂が起きた。
大きく分かれた2団体で別々に世界大会まで催される事になってしまったのだ。 史上最強の外国人選手であるフランシスコ・フィリォが参戦するのに分裂などしている暇はないだろうと思ったのだ。
フランシスコ・フィリォ
そんなことよりも分裂して開催されるほど、離れていった支部長たちは松井氏に不満があったのだろう。
このような事態になってしまったら、私が松井氏の立場であれば、一度会議を招集して討議に討議を重ねた末に評決を取り、自分に退いてほしいという支部長が半分以上であったら館長職を辞退するだろう。
半分以上が不満であるならば、やはり館長でいる正統性がないし、誰もその不満をいだいている人の傘下で行動をしていきたいとは思わないだろうからだ。
しかし、松井氏は95年の館長職の解任の評決で、半分以上の支部長が賛成したにもかかわらず、降りることをしなかった。
それでは、決裂したままになるのは当然だろう。
私は、このような事態をみても、松井氏についての評論は控えていた。
支部長という立場ではなかったし、その内情については詳しく知らなかったからだ。
その後の綿密な成り行きをみて評価しようと思ったのだ。 その後の経緯をみると、やはり松井氏は館長としての資質がない、と評さざるを得ない。
自分と意見が合わないというだけで、自分のかつての師匠である盧山初雄氏を自分の一存で除名にし、先輩であった水口敏夫氏をも除名にした。
その2人の地区の傘下であった支部長たちが松井派を脱退していったにも関わらず、その人達を引き留めようとはしなかった。
またその除名の決定に異議を出した支部長の意見を聞き入れず、そのせいでその支部長が脱退するも、これもまた引き止めなかった。
そして今度は、中村誠師範を松井氏と取り巻きたちだけで除名の決定をした、ということ。
少年部や壮年部が試合につけるグローブやサポーターは本部公認のものを購入して使わないといけないという規定にした。
また顔面殴打を禁止しているフルコンタクト空手の試合でマウスガードなど不要にも関わらず、これを購入して口中に入れなければ試合に出れないという規定にした。
このような理不尽な決定はおよそ礼節を重んじる武道団体の長のすることとは思えないのだ。
松井章圭
このようようなことをしてきた松井氏にいまだついていきたいと思っている支部長が未だいるいる事自体、私には信じれない。
私が松井氏傘下の支部長だったら、盧山氏や水口氏が除名になったあたりで疑問に思い、また別の支部長が脱退した段階でやめるだろう。
自分は贅沢な生活をしてそのせいでお金がなくなったら会員から徴収すればいいなどというのは悪徳な政治家の発想である。
また自分が少年時代にお世話になった師匠を除名にして、その除名した師匠のいる県に自分の派の支部を新たに作るなどおよそ正常な人間の仕業とは思えないのだ。
逆に、そのような理不尽な決定は新極真会には見当たらないのだ。
完璧にはなれない人間のすることであるから深く探っていけば汚いところは緑氏や新極真会にもあるだろうとは思う。
しかし、誰にもバッシングを受けるほどの事はない、と私はみているのだ。
その汚い部分が浮上してきたらそのことについての考察は深くしていきたいと思っている。
何よりも非人間的な所業を松井氏は多くおこなってきたのだ。
ゆえに、いくら大山総裁が彼を後継者として遺言で指名したとしても、館長としての内実にふさわしくないならば、やはり退くべきであると思う。
礼儀や義理を重んじる武道団体の長であれば尚更そうだろう。
かつての自分の先輩や同輩が、自分とは敵対する派に行ってしまったのならば、なんとか1つになるべく努力するだろう。
しかし、そういう努力はせず、自分が館長として居座ることにこだわった。
それだけでもいかに自分が、長として仕切りたいという気持ちが強い人であるかがわかるだろう。
こういう人格の人を心理学ではサイコパスというのである。
その特徴は、
人を自分の思い通りに仕切らないと気が済まない。
自分がした過ちについては決して謝らない。
悪いことや犯罪に手を染めても全然気に留めない。
こういう心理内容をもっているのである。
これはいくら教育を施しても普通の人のようにはならないのだ。
松井氏は要するにサイコパスなのだ。
ゆえに、自分のかつての師匠や先輩をいとも簡単に除名にしたし、全国で半分以上の支部長が解任に賛成したのにも関わらず館長職に居座り続けたのだ。
そして、いくら誤ったことをしても、会員に対して説明責任を果たすこともないのだ。
やはりこのような松井氏に我慢ならなかった支部長たちは、大山総裁との対比でものを考えていたのだろう事は想像に難くない。
大山総裁
大山総裁は、決定事項について1人で決めることが往々にしてあったようだ。
しかし、その内容は吟味に吟味を重ねた末での決定であったようだ。
しかし決定上、手続きを踏まないといけないことに関しては必ず手続きを踏んでいたようだ。
それに過ちを犯してしまったときは、必ず謝ったようだ。
大山総裁が来賓として某支部の道場にくるときいて、準備をしておいたにもかかわらず、来れなかった。
それに対して、なぜ総裁はきてくれなかったのですか?という一般女子の道場生からの手紙に対し、雑誌上で「これこれこういう理由でいけなかったです。申し訳ありませんでした。」という大山総裁からの謝罪の文が載せられていたのだ。
これには私は感服せざるを得なかったのだ。
このような人格ゆえに不満が噴出しても表面に出ることはなかったのだ。
しかし、松井氏は自分だけ、あるいは取り巻きたちだけの少人数だけで物事を決定してしまい、それについて謝罪の言葉も何もなかったのだ。
それでは不満が残って当たり前であり、こんな人の元でやっていこうとなどとは思わないのが当たり前でもあろう。
確かに松井氏と大山総裁は違う人間であるから、何から何まで大山総裁と同じようにせよとは言わないだろう。
しかし、2人の人格があまりにもかけ離れている、組織の長としてレベルが低いと感じたゆえに、全国で半分以上の支部長が松井氏から離れたのだろう。
確かに松井氏への不満だけではないだろう離れた理由は。
松井氏を支持してついていった支部長で前々から気にいらない人がいて、その人と離れられると思い離れたというパターンもあろうし、いざこざに巻き込まれたくないからこちらでいいというような気分でいたパターンもあっただろう。
何も松井氏だけの責任ではない気がするのは私だけではないだろう。
しかし純真に松井氏のこれまでの所業を見れば、館長としての資質はないと言わざるを得ない。
それとは逆に、緑健児氏の長としての組織の仕切り方は見事だし、人情味にあふれている。
自分と意見が違うからという理不尽な理由で、あるいは自分の一存だけで支部長を除名にしたりはしない。
理不尽な金銭的な出費を会員に強要したりすることもない。
キチンと全支部長の意見を汲みながら決定している。
このような組織こそが模範となる組織と思われてならないのだ。
このような人格において対比の構図になっている松井氏と緑氏が1つになることはないだろうし、水と油が交じりあう事はないだろうし、努力しても無理であろう。
大山総裁の生前には松井氏と緑氏が、対談した内容やテクニックを図解する写真まで雑誌ででていた事もあったのだ。
それは、大山総裁がいたことで、松井氏の醜い部分、本性が暴露されることはなかったが、松井氏が館長になった時にそれが顕になったのだ。
その正体がわかった以上、2人が混じり合うことはないだろうし、混じり合う必要もないだろう。
純真な人が不純な人と混じり合う事は不可能だろう。
早く松井氏が引退してくれることを私は心から望んでいるのだ。
それによって極真会館がどのような丁装になるかを見てみたいと思っているのだ。
このページでは、緑健児氏の人間味を心から知りたい人のために、氏の自叙伝を紹介したい。
●以下よりどうぞ!
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