こんにちは。
今回もブログを読んでいただき感謝します。
今回は、宗教とのスタンスを話していきたいと思います。
極真空手の創始者である大山倍達総裁は、当時の月刊誌であった『パワー空手』のコラムにおいて、いろんな宗教から勧誘を受けたがどれも断った、というエピソードを書いておられました。
その理由として、「宗教に入らずとも、いろんな本をたくさん読んでいけば人生に必要な指針は得れるから」ということでした。
大山倍達総裁
これには私もまったくの同感でした。
私は大学に入ってから、好奇心の赴くままいろんな本を濫読してきましたが、そのとき思ったのが、「いろんな本を読めば人生に必要ないろんなことが学べる!」ということですね。
「この宗教に入れば必ず幸福になれる!」と言われ、その宗教の機関紙を無料購読させてもらい、すべて読みましたが、確かに為にはなるものの多角的な視点が足りないな、ということは間違いありません。
それでその宗教に入ることはやめました。
今も時折、その宗教の機関紙を読ませてもらいますが、その感想に違いはありません。
やはり自ら主体的に物事を学んでいこうという姿勢が一番大事なのではないかと思われて仕方ないのです。
確かに、その機関紙を「自分は積極的に読んでいる!」とその宗教に入っている人は言いたいのでしょうけれども、それだけでは人間を、ひいては社会を理解することはできないのです。
いろんなジャンルの本を、それこそ100冊以上読まなくては。
大山総裁は生涯そういう姿勢を崩さなかったようでした。
しかし、大山総裁は宗教的なものに一切触れなかったのかというとそんなことはなく、極真空手の道場訓にも、
「1つ吾々は、神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること」
としたためられたのですし、道場にも神棚を設置しておりました。
道場訓に、 「神仏を尊び」とあっても、別段宗教に入れというわけでなく、そういうものを心に措定して、謙虚な姿勢を忘れないことの重要性を詠っていたのだし、そういう心の姿勢をもつことによってふくよかな心性を持つことを期待していたのではないかと思います。
しかも自分のお子さんにも、祖先に対する感謝の心を持ち、必ず仏壇の前で手を合わせることを義務付けていたのでした。
こういう宗教的なスタンスも私は全く同じですね。
特定の宗教に入るのではなく、神仏という人間を超越した存在全般に対して畏敬の心を持つことによって、人や動植物、万物に対する謙虚な心を持つことができるのです。
そういう畏敬の心を持つことでこころ晴れやかになりその状態が幸福感に満たされるのです。
特定の宗教がそれぞれ尊崇の対象にしている神仏ではなく、不特定多数の神仏や事物に感謝すれば、人や動植物に笑顔で接し、そのことで良好な関係を築くことができます。
そういう畏敬の念があれば、身の回りの動植物や事物の存在がありがたくなって何事も大事にするようになります。
人を分け隔てしないで、しかもいつまでも友情を育むことができ、それによって心豊かになれます。
身の回りのあらゆるものに感謝するようになれば、洗剤やシャンプー、石鹸といったものもエコロジーなものを使う、そのことは地球にもいいわけですよね。
感謝できるようになれば、人からもらうアドバイスはもちろん事物も大事にするでしょう。
私はもらったものを捨てたことはありませんし、外食して残したことはありません。
水も氷もすべて胃袋に収めて店を出ます。
唯一無念だったのは小学校3年の時に、定食屋でラーメンと牛丼のセットを頼んだが、当時の胃袋は小さかったので残してしまった、という例だけです。
それ以来、一切残していないです。
その姿勢をみて遺憾に思う人はいないでしょうし、逆にうれしくなるはずです。
特定の宗教に入るのではなく、不特定多数の神仏を尊ぶようになれば、こういうスタンスを築き、ひいてはプラスのスパイラルを作ることができるようになるのです。
「自分の宗教もそういうスタンスだ!」と反論されそうですが、私は特定の宗教に入って学んだのではなく、私はいろんな本を濫読して学んだのです。
ですから、私には特定の宗教に入る理由がないのです。 それは大山総裁も同じだったでしょう。
こういう主体性があれば、人生に必要なことはいくらでも学べるのです。
そういうことを学べるのは宗教だけの特権ではないのです。
宗教にのめりこむ人は、こういった主体性がないなと私は感ずるのです。
自分の属する宗教の機関紙(新聞、雑誌)については積極的に学びますが。 やはりその宗教の発行する新聞や雑誌だけでは物足りなくて当然ですし、社会や人間関係についてすべてを知ることはできません。
であるからこそ、その宗教に入るも、幸福になれないといって辞めていく人がいるのではないですか?(笑)
そういう人がYouTubeにその体験談をアップするんではないですか?(笑)
しかし、いろんな宗教の体験談を読むうちに知ったことですが、無宗教の人が某宗教の聖堂に入ったらとめどなく感動のあまり涙が出て、その経験がもとでその宗教に入ったとか、別の某宗教に入って学ぶうちにこの宗教こそが自分の人生の支えになり、この宗教を永遠に携えていこうと決意し今もその宗教にのめりこんでいる、という体験談もあります。
その他、いろんな似たような体験談はたくさんあります。
私は、残念ながらそういう経験は全くないんですね(笑)。
だからといって、そういう体験談は嘘だ、作り話だなどということは一切言いません。
そういう神がかりな経験をしたのなら、その人はその宗教を携えていくべきでしょう。
しかし自身がそういう体験をしたからといって、他の人もそういう体験をすることがあるかといえばそんなことはないということは覚えておかなくてはなりません。
その上で、人に勧めることが大事です。
やらないと本人が言ったら、それ以上しつこく勧誘はしないことですね。
以上、参考になれば幸いです。
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