こんにちは。
今回は、成功者の共通点について話したいと思います。
事業が成功している人、または空手などによる格闘技においての成功者の共通点ですね。
こういう人たちは、やはり神仏に対する畏敬の念を持っていますね。
逆に成功できていない人は、神仏に対する畏敬の念がまったくないですね。
これまでの研究で、成功している事業者の共通点は事務所に神棚がある、ということですね。
逆に成功できない事業者はそういったものがない、ということですね。
神棚や仏壇というものですね。
そして、成功者は墓参りを欠かさない、ということですね。
逆に成功できていない人はそういうこともしない、ということですね。
極真空手の創始者である大山総裁は、道場訓に
「神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること」
としたためてはおりましたが、特定の宗教に入ることには批判していました。
大山倍達総裁
いろんな宗教団体から勧誘があってもすべて断ったということです。
そして、韓国にいた3人の息子たちには、仏壇に手を合わせて先祖に対して拝むことを奨励していました。
そして道場には神棚を必ず設置していました。
しかし、大山総裁はなぜ特定の宗教に入らないのに、こういう神仏に対する畏敬の念を忘れなかったのか、と考えてみますと、どういう考えの帰結になるのでしょうか?
先祖は自分の知らない人がほとんどです。
おじいちゃん、おばあちゃん、または、ひいおじいちゃんやひいばあちゃんは知っていてもそれ以前の人たちは知らないのがほとんどでしょう。
歴史の教科書に載るほどの偉業を遺したのなら知っていても不思議ではないですが、それ以前の先祖については知らないのが通常です。
しかし、それ以前の先祖に対する人たちに畏敬の念を持てとはどういうことか、と不思議に思いますね。
それは考えに考えると、 「先祖たちがいたからこそ今の自分がいる」 ということですね。
それに感謝する、ということが重要なのではないかと思うのですね。
教条的に宗教の教えとして意味もなく先祖を拝め、ということではないと思いますね。
それはひいては、現在においても、いろんな知らない人に対しても感謝の念を持つことが重要ということではないでしょうか?
例えば、今自分が水を使って手や体を洗うことができる。
それは、それを川の水から洗浄して、それを水道に流して使えるようなシステムを開発し、それを製造し、設置してくれたから使えるのです。
今はもう秋ですが、夏の暑い時分には、喫茶店に入って冷たい水を何杯もかっこみます。
その時、これを飲めるようにした人、使えるようにした人、またはそこの喫茶店に働いている人(計何万人携わってきたか知りませんが)がいるからこそ、自分はこんなうまい水が飲めるんだなあということで感謝の念が大いに沸きあがってきました。
私にはそんなシステムを作る能力など全くないですし、製造も運搬も他の仕事をしていてはできた話ではないです。
しかし、それに携わっている人がいるからこそ私はうまい水が飲める。
だからこそ、そういう自分に直接利害関係のない人に対しても、感謝の気持ちを忘れない。
それは何も、水のことだけではないです。
他のあらゆる食料、教育、娯楽、レジャーなどあらゆる部門においていろんな人が携わっているからこそ自分が生活していける。
だからこそ、自分の家族ではない、友人ではない、同じ会社ではないからといって、その人たちに感謝の念を持たず、ぞんざいに扱う、ということはできた話ではないのです。
誰にでも共通して大事にする、ということの大事さを考えざるを得ないですね。
事業で成功している人たち、または空手で成功できている人たちに共通している点は、やはり自分の利害と関係のない人でも大事に扱う、ということですね。
空手は、ただ修練を積んでいけばいいということではないのです。
修練を積んでいるだけで、周りの人間をぞんざいに扱う、という人は全く知りません。
そういう人は見たことありませんが、そういう人は応援しようとは思いませんし、アドバイスをしてあげようとも思いませんよね?
そのアドバイスが非常に重要なのです。
自分にはわからない欠点が他方から見ていて初めてわかるということは往々にしてあるからです。
何年空手をやっても、試合になればセコンドがつくでしょう?
自分だけでは試合をうまく運ぶことはできませんから、セコンドは絶対的に必要なのです。
その際に、人をぞんざいに扱う人に、いいアドバイスをしてあげようと思いますか? 思わないですよね?
ですから、人を分け隔てなく同じ組織であろうがなかろうが、同じ家族であろうがなかろうが、友人であろうがなかろうが、人は平等に扱うべきなのです。
そしていつまでも人は大事にすることが重要なのです。
こういうように人をいつまでも大事にする人が事業でも成功でき、空手でも成功できるのではないでしょうか?
そういう人はやはり神仏に対する畏敬の念を忘れないのです。
精神構造に一致があるのですね。
そういう神仏に対する畏敬の念がない人の精神構造はというと、自分の気に入った人や利害関係者でないと大事にしないのです。
そういう人はやはり何においても成功することはできません。
人からの協力もしてもらえませんし、アドバイスももらえないですからね。
そして事業ならあえなく破綻、空手でもいいアドバイスももらえずに敗退。
当然の帰結でしょう。
最近の日本では、あまりに社会全体が便利になりすぎて、人と関わらなくとも生きていけます。
人と交わらなくても、テレビ、テレビゲーム、DVD、パソコン、バイクなどはお金を出せば買えて、それらで便利に過ごしていけますから、いちいち人と交わらなくても生活していけます。
そのせいか、人との交わりを避ける、または自分が本当に気に入っている人としか話さない、挨拶もしないという人が多くなっているような気がします。
残念ながらそういう人は運を身に着けることはできませんし、何においても成功することはできません。
人の恨みを買い、援助もしてもらえないからですね。
まあ人の人生ですから、どうせよこうせよということは指図しませんが、私はそういう人生は正直送りたくないですね。
それは事業や空手で成功していけないから、ということではなく、人と交わることで精神的な幸福感を味わえると日々実感しているからです。
私は今も小学時代の友人と付き合ってますし、中学校時代のも高校時代のも大学時代のも付き合ってますが幸運なのでしょうか?
こういういつまでも多くの人と交わって精神的な幸福感を味わいながら生活していくというスタンスはこれからも維持していきたいなと思います。
成功者のスタンスとあなたのスタンスを一致させることができるかどうか観察していくことの重要性を認識することは非常に大事だと思います。
今回はこれにて終了したいと思います。
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ここまでの精読ありがとうございました。
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