こんにちは。
今日はまたマニアックな視点で語りたいと思います。
唐突ですが、木山仁という人物はご存知でしょうね皆さんは?
木山仁
いわずと知れた極真会館(松井派)の第8回世界大会で優勝した人ですね。
そしてこの人は、いま松井派の日本人選手団の監督を務めています。
そんなすごい人物から技り優勢勝ちした人物は誰か、といわれれば誰かわかるでしょうか?
答えは、小井泰三ですね。
小井泰三
この人は今、新極真会の東京ベイ港支部の支部長を務めておられます。
この人と、木山師範が対決したのは、93年の第25回全日本大会の3回戦ですね。
この時は、今のように極真と名乗る団体が林立せず、1つにまとまっていた時代ですね。
この時、木山師範は19歳。小井師範24歳。
木山師範はまだ経験不足や攻撃力不足から、攻めあぐねていました。
自分から攻めるという姿勢が感じられず、後手後手に回る場面が多くありました。
前に出てくるところを上手く上段蹴りをヒットさせられ、ダウンし技あり。
その後、再開されるも、小井師範優勢のまま試合終了。
小井師範の優勢勝ちでした。
しかし、それからめげることなく地道に訓練を続けていったのでした木山師範は。
それが実って全国に名を轟かせたせたのは第1回全世界ウェイト制大会(松井派)でしょう。
この時、木山師範23歳。
2回戦で、この大会が行われた2年前の世界大会で4位に入ったギャリー.オニールを延長2回の末に破るのですね。
ギャリー.オニール
その次の年の全日本大会では3位に入り、全日本の主力メンバーとして期待されるも、調整失敗で3回戦で体重判定負け。
その後、こういったミスを犯すことなく万全の状態で2000年の全ヨーロッパ大会に出場して重量級で優勝。
そして、それからの全日本大会では2連覇を果たし、日本のエースに昇格するのでした。
そして2003年の第8回世界大会では、念願の優勝を果たし選手生活を引退し、全日本選手の監督になるのでした。
私が2003年の世界大会において2階席で木山師範の試合を見守っていたのですが、、やはりオーバーラップしていたのは、これから10年前の全日本大会ですね。
そう、あの小井師範に技あり優勢負けした試合ですね。
そういう想起をしながら試合を見ていた人は何人いたでしょうか?(笑)
あの試合とオーバーラップせざるを得なかったのは、木山師範と対戦した選手のうち、レチ.クルバノフ(ロシア)とエウェルトン.テイシェイラ(ブラジル)といずれも上段蹴りの名手だったからですね。
まず最初に対戦したレチはこれまで、いくつもの上段後ろ飛び蹴りで技ありや一本を取っていたからですね、これまでの大会で。
レチ.クルバノフ
しかし、この試合でもレチは2回上段後ろ飛び蹴りを放ちますが、いずれも不発でした。
この試合はこれまでのレチとは違いました。
右腕のガードをしっかりとして、そして警戒心が高くあまり前に出てきません。
そのせいか木山師範が下段や中段の蹴りを出すも、あまり受けようとはしないのです。
木山師範が技を出すもレチは受けず、レチが返すもほとんど木山師範は受ける、という攻防が続く中、起死回生の上段後ろ飛び蹴りを出すも、しっかりと受けられ不発。
試合終盤、木山師範がラッシュをかけて、それをレチは応対し、一発で仕留めようとまた上段後ろ飛び蹴りを出すも、受けられ不発。
自分が前に前進している時にこういう技を出して不発ならば印象は良いけれども、相手が前進している時にこういう技を放って不発に終わると印象が悪いのですね。
判定で木山師範の僅差勝ちでした。
次の準決勝の対エウェルトン.テイシェイラ(ブラジル)戦は非常にきわどい試合だったのを今でも覚えています。
エウェルトン.テイシェイラ
エウェルトンは、上段回し蹴りはもちろん、後ろ上段回し蹴りや上段前蹴りを漫然とこなすのみならず、その破壊力とスピードが半端ではありませんから、ものすごく警戒が必要でした。
しかも身長も186センチもあるから猶更でした。
対戦がはじまって、やはりエウェルトンも、木山師範がこれまでの選手とは違うと思って、警戒心を持ちながらの前進でしたので、動きにぎこちなさがあったのがわかりました。
しかしそれでも後ろ上段回し蹴りや横蹴りをどんどん出すので、警戒心を忘れずに様子をうかがいながら、木山師範は攻めていきました。
下段に見せかけての突き、中段に見せかけての突きを巧みに使いながら、また隙を見ての中段蹴りや下段蹴りをフルパワーでクリーンヒットさせるも、エウェルトンは下がらなかったからすごい修練をしてきたな、と感嘆の思いでした。
上段へのかかと落としをして、中段への突きをつなげるなど一進一退。 最終時、双方ともラッシュをかけるも引き分け。
延長になって、やはり疲れからかエウェルトンは攻めあぐねているのがわかりました。
そこをすかさず木山師範は下段蹴りを集中させていました。
それを足をあげて防ぐ場面もあれど、受け損ねていた場面の方が多く、それがポイントになったのか、僅差判定勝ちをすることができました。
延長でも前蹴りが出て相手を牽制することができてましたから木山師範はかなり練習してきたなということがわかりました。
この時の2試合のみならず、この2年前の全世界ウェイト制の決勝でも、セルゲイ.オシポフ(ロシア)という上段蹴りの名手と対戦して全く相手の技をもらうことなく手堅く勝利した時も、やはり勝利の王道に則って試合を進めていたゆえの勝利でした。
セルゲイ.オシポフ
その王道とは、
「自分の全技の攻撃力が相手のそれを凌駕していること」
「相手が警戒し防御しないといけない技のレパートリーが数多くあること」
「延長になっても前2項が維持できること」
「相手の攻撃パターンを見破ること」
今回、レチ.クルバノフ、エウェルトン.テイシェイラ、セルゲイ.オシポフとの対戦を引き合いに出しましたが、いずれも今も世界的に有名な選手です。
その3者が、木山師範と対戦した時は、それまでの試合とは違って前に出ることができず、また自分の持ち味を生かすことができなかったのは、上記の4つができていたからです。
どれを欠かしてもだめなのですね。
木山師範は、非常にテクニシャンであり、3年前の世界大会で準優勝したジマ.ベルコジャに「目標とする組手」と言わしめたほどです。
しかし、それは木山師範が、パワフルな攻撃力を技全般において持っているからですね。
それを見逃して、DVDを見て、木山師範のテクニックだけをまねても自分の組手に活かすことはできないでしょう。
確かに、DVDをみるとそんなに力を入れているようには見えないのは、脱力した状態からパワフルに出す訓練をしているから、見た目にはそんなにパワフルには見えないのですね。
ですが現実は逆なのですね。
突きにしろ、木山師範は砲丸投げを何百本も1日に投げていたからあのような強い突きを繰り出すことができたのですね。
また蹴りも、1日に1時間も蹴りだけを続ける訓練をしていたからですね。
決して強くなれと願うだけでは出せないのです、こういう訓練をつづけなくては(笑)。
そういった訓練を重ねていけば、相手は警戒し、また自分の攻撃を相手がもらえばダメージに蝕まれ、自分の組手ができなくなるのです。
またそういうようになれば、相手の攻撃に対する畏敬の念が生まれ、それに対する防御法なども念頭に置くようになるのです。
上段の蹴りに対しては、極度に警戒しすぎも、見くびるのも両方ダメなのです。
自分の技に自信を持たせるほどの訓練を重ね、それでいて相手の技を警戒する、これが王道なのですね。
そういう事を木山師範はこれまでの敗戦を通して学んできたのでしょうね。
当然、93年の全日本大会での敗戦も。
しかし小井師範は、派は違ってしまえど、自分が一度は技あり優勢勝ちをした木山師範があのように優勝した時どのような思いでいたのでしょうか?
もし小井師範と話せるなら、そのことを思っているのか聞いてみたいですね、非常に。
まあこんなこと考えている人は私だけでしょうか?(笑)
そんなことはないと思います。
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では今回はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました。