極真空手ウェイ.ブログ

フルコンタクト空手を通じて人間的に成長したいという人のためのブログです。

楽しみとは楽しみという形をとって表れる苦しみである?

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空手の修練を続けていると、疑問に思うことが出てきます。

週1回しか休めない。

これでは、かなり身体的にも、精神的にもきつい。

ならば、もっと休んだ方がいいのではないか?

あるいは、稽古レーニンは、しなくてもいいのでは…別に、それらをしたって金がもらえるわけではないし、栄誉が付くわけでもない。

逃れて、毎日遊びほうけてしまった方がいいのではないか?




世の中にある娯楽や楽しいものを謳歌するべきなのではないか?

そんなことを考えてしまっても無理はないでしょう。

そう思うならば、一度そういう生活にしてみるのも一手でしょう。

やはり、これまで書いてきたように、実感を伴わない理論は空論にしかないえませんから、するのがいいでしょう。

私も空手に挫折して、そういう生活になったこともありました。

最初は、「こんな世界もあるのか!」と若干感動しましたが、時がたつにつれて、虚しさが募ってきました。

やはりきついことをした後に、享楽にふけることで、その良さがわかるのであって、享楽ばかりでは、やはりむなしさが漂ってくるのですね。

ビールを飲むのだって、スポーツレーニンをした後に飲むのが美味いのであって、ただの生活の時に飲んだって決しておいしくはないでしょう?

冷たい水でも、走りこんだ後に飲むのがおいしいのであって、普通に飲んでいたらおいしくはないのは明白です。

以下、釈迦の言葉を引用しましょう。

「楽しみとは楽しみという形をとって表れる苦しみである」

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カラオケ好きでも、12時1時まで歌っていたら飽きてしまうし、寿司好きでも毎日食べていたら気持ち悪くなるのです。

違う見方をすれば、おいしいビールを飲みたいから稽古やトレーニングを頑張る。

やった後の爽快感が得れるから稽古やトレーニングを頑張る、というモチベーションの上げ方もあるということです。

今日は、行きたくない、しかし、行かなかったら倦怠感が体内に襲ってくるから無理やり稽古なりトレーニングに行く!と心を鼓舞する方法もあるのではないでしょうか?




一面的にだけ考えずに、いろんな側面で自分を鼓舞することが大事でしょう。

一度、稽古から離れて…ということを書きましたが、そこで「空手からはなれてすっきりした!もうしたくもない!」という気になったのならそれはそれでいいでしょう。

それはその人の価値観であり、空手をやめたら死刑に処すということではないのですし、違う場面で力を発揮させたらいいでしょう。

そういう人生になったのならば、それはそれで素晴らしいでしょう。

咎めだてはしないです。

それどころか称賛いたします!

今回は以上です。

ありがとうございました!


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