前回は増田章氏の自叙伝について書いたので、今回は盧山初雄氏について書こうと思います。
このかたは、漫画『空手バカ一代』にも登場したことによって、更に有名になったことは間違いないでしょう。
このかたは、現在「極真館」の館長をしておられます。
盧山初雄
その『空手バカ一代』はもちろん、氏の自叙伝を読むことでも、偉大さがわかる気がします。
彼が、要点を置いているのはやはり健全な精神のはぐくみでしょう。
これまで、ご自身が極真会館の埼玉県の支部長になってからの25年以上のノウハウの蓄積をもって、それに取り組んできたのですね。
数多くの不良少年を預かり、更生させてきたのです。
その教育ノウハウによれば、その不良少年は問題がその少年だけでなく、その親にもあることを看過していたのです。
これは慧眼ものですね。
ゆえに少年にもならず、親の教育までも施してきたようです。
親にも空手をしてもらうのだそうです。
その際に「強くならなくてもいいから、自分が必死になって体を動かしているところを見せればいい」ということですね。
そういうことをすることで、子供はそういう親を見て、改心するのだそうですね。
やはり弱い人というのは、前にも書いたように、自分を強く見せようとするあまり、人とくに子供を貶して育てる、あるいは命令をして従わせようとする。
それによって、子供は親に対して否定的な気持ちを持つようになり、人が信じれなくなってぐれたり、反社会的なことをするのですね。
やはり親に心に問題があるのですね。
そこに問題の根本がある気がしますね。
そんな親子関係ゆえに、親子の関係が悪くなる…これは必然ですね。
前々からいじめはどの時代にもあったことは確かですね。
しかし、昨今は陰湿ないじめがはびこり、子供を巻き込む凶悪事件が多発しているのです。
その場合でも盧山館長は更生させてきたといいます。
よからぬことをした場合には叱り、良いことをした場合には褒める、これだけで核心めいた方法になるようです。
まさにその事が大事なのですね。
それは親子関係のみならず、社会にでてもどの職場でも一緒でしょう。
褒められていい気分がしない人はまずいないですね。
でもたまに、こちらが褒めても、向こうは貶すことしかしない奴はいますが、そういう奴は無視か中段蹴りを叩き込むのがいいでしょう(笑)
その蹴りは、いつも磨いてなくてはならないですね。
その空手のモラルは、磨くことで日常生活においてしないことを学ぶということですね。
ただ単なる威力をつけるだけでは殺人拳であるということです。
しかし、自分が実際に稽古内で、突き蹴るだけでなく、突かれる蹴られることで、相手の痛みを知るということです。
それが殺人拳ではなく、活人拳であるというのですね。
それこそが空手の本道であるというのはうなづけます。
しかし、盧山館長は極真空手の前身である『大山道場』からの古株ですが、その大山道場には、他流派の黒帯が道場破りが来ても、大山道場の緑帯が伸ばしてしまうほどであったということですね。
いかに当時の人が修練を積んでいたかということがわかりますね。
それほどの修練を積んでいると自信をもって言える人がどれだけいるだろうかとおもいますね。
盧山館長いわく、大山道場の稽古は他の流派とは量からして違っていたということです。
大山倍達総裁が壇上に立って指導し、総裁がやめるまで永遠と続いていたようです。
大山総裁
時に3時間だったり5時間だったりと、ものすごい時間やっていたようですね。
その長い非合理な稽古時間によって、精神力が備わったということですね。
昨今は、ウェイトトレーニングばかりが横行していて、重いものを持ち上げることでバルクアップを図ることはできる。
しかし、長い時間をこなすことで、物事を深く掘り下げることをしなくなり、いつしか手っ取り早く力を得ようという気風が全体的にみなぎってしまったということを盧山館長は嘆いておられるのです。
サンプレイジムの宮畑会長は盧山館長と親交を深めている人ですが、宮畑会長もそのことを嘆いているのだそうです。
そんな気風がみなぎっているがゆえに、空手に入ってもすぐに辞めてしまう人が多いということも悩みであるでしょう。
そのようにならないように、空手をやっている人のだれもが、短時日で辞めないように諭す、そればかりでなく、非合理に時間を費やして頑張る姿を見せないといけませんね。
やはり、この本もさることながら、幾多の伝え聞きを総合して結論を出すに、盧山館長は人格的にも素晴らしい人間であることは間違いないです。
周知のように極真は95年に分裂してしまいました。
松井派の最高顧問だった盧山初雄氏は、反松井派の人間たちと一緒になれるように奮闘してきました。
しかしそれは叶わなかったですが…。
それに、盧山館長は1975年の世界大会に出る前の山籠もり修行の際に、西田支部長とともに過ごして訓練をしたのです。
その西田支部長は、残念ながら反松井派にいってしまったのです。
それでも盧山氏は、大山総裁の「私の死後は松井を頼む」という遺言通り、西田氏が反体制に行っても松井氏を盛り立ててきたのです。
そういったことを鑑みれば、盧山氏と永遠に一緒にやっていこうという気に私ならなるのですが…。
こんなにも非常に松井氏を盛り立ててきたにもかかわらず、2002年に盧山氏は松井氏の一存で除名にされるのです。
その理由は、意見が合わなかったということです。
人が良いことをしたら褒めるけれども、その試練の際にはとことん厳しい盧山氏とは相いれない考えの持ち主であったのが松井氏だったのですね。
松井章圭
そんな考えは現代には合わないということです。
そうだろうかと私はいぶかし気に思いましたし、今でもそうです。
その相いれない盧山氏がどうも憎かったがゆえに、自分の一存だけで除名にしたのです。
私ならそういう人間がいたら、相手の意見を受け入れながら譲歩して、運営をしていくと思いますし、これまで除名になどしたことはありません。
相手が自分のことに従えないならば、クビあるいは除名にする。
これはまさしくサイコパスという人格に他ならないですね。
こういうサイコパスゆえに、いつまで経っても社員が1人しかいない会社の社長を知っています。
それでもその社長は、そのことで悩んでいる気配が全くないのですね。
それと同様に松井氏は、人が自分から離れていったことについて悩んでいるようには全く見えないのです。
まさしくサイコパスですね。
そのような組織の長がいると、その組織は崩壊するのは目に見えています。
2002年に盧山氏が除名になった報を聞いたときには、私は信じれなくてあっけにとられたのを覚えています。
それによって兄弟以上の契りを交わしていた廣重毅氏も脱退し一緒に極真館を設立しました。
これで松井派の重鎮がいなくなった。
それまで松井派の世界大会の監督は、廣重師範が務めていた。
しかしこの脱退で、後には中村誠師範が務めた。
その中村師範すらも松井氏の一存で除名になった。
またその後、幾多の重鎮がいなくなってしまったがゆえに、もう松井派はボロボロの状態なのだ。
盧山館長は松井派の人間だったときに西ロシアの管轄であったので、除名された後、その西ロシアの強豪であったセルゲイ.オシポフも極真館に行ってしまったのです。
のみならず同じ西ロシアの強豪であったアレキサンダー.ピチュクノフは新極真会に行ってしまったのです。
これもまた松井派の魅力のなさがうかがわれますね。
まったくもって松井氏は誤った決断を下したとしか言いようがない。
其の人事以外にも、盧山館長という精神的に素晴らしい人間を失ってしまったという意味ででもある。
その素晴らしさを垣間見て、自分の糧にしたいと思った人には、是非ともこの本を読んでほしいです。
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