極真空手ウェイ.ブログ

フルコンタクト空手を通じて人間的に成長したいという人のためのブログです。

『この指導法では危うい?』

先日おこなわれた極真会館(松井派)において、日本人が優勝したのみならず、ベスト3を独占し、来年の世界大会への安堵の思いが出たことについて書きました。

しかし、危惧するのはやはり外国人の入賞者が多いことですね。

ベスト8中4人が外国人が占めているのです。

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それだけ松井派では外国人が実力をつけていることの証左なのでしょうが、来年の世界大会出場メンバーを決める大会で、これだけの外国人が入賞してしまうとは、やはり怪訝に思わなくてはならないでしょう。

20年くらい前の松井派の機関雑誌である『ワールド空手』を読んだときに、入賞した選手のインタビューで「先輩に、ここで負けたら世界大会でも負けるぞ!と発破をかけられて奮起しました。」ということを言っていた選手がいました。

その選手は、ベスト8をかける試合のことを言ったのでしたが、その先輩の言葉に奮起して、試合に臨み、見事相手の外国人選手に勝ち世界大会の出場権を獲得したのでしたが、このような奮起は今回の日本人選手に欠けていたんだと思いますね。

偉そうですが…(笑)

それと気になるのが、毎回毎回同じような選手が、入賞してしまっているということですね。

ベスト4の顔ぶれがほとんど一緒なのですね。

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私は、今回の新極真会の全日本大会の前に、ベスト3を独占していた選手がまた独占していては組織全体の底上げが難しくなる。」ということを書きましたが、その通りにならなくてよかったということです。

毎回毎回同じような人が入賞してしまっていては、諦めの雰囲気が組織全体に蔓延してしまい、希望が持てなくなる。

そうならずに楽観主義が蔓延していくためには、ベスト4の顔ぶれが変わらないといけない、ということですね。

しかし、松井派ではそうではなのですね。

これでは、組織全体に「自分がやっても頑張ってもダメだ!」というマイナスの気風が生まれてしまい良くない、ということですね。

しかし、そうではなく、新極真会には「自分でもできるんだ!」という良い気風が蔓延しているがために、全体的な底上げができているのですね。

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たとえ、ベスト8入りし、ベスト4入りを逃した選手でも、勝つセオリーの組手をしているので、期待が持てるということですね。

それでも、来年の世界大会で、新極真会として初めて外国人の王者が生まれてしまっては、私の論に修正を加えなくてはならないでしょう。

しかし、上位入賞者の顔ぶれが毎回同じようでは組織全体の停滞感が募るというのは間違いないでしょう。 それはひとえに2つの組織に流れている「情報」に違いがあるからですね。

松井章圭は、本人の組手にも現れているように華麗な組手を信条にしているので、その方法論が機関雑誌の情報に表れているということですね。

綺麗な組手をさせよう、器用な組手をさせようという雰囲気が雑誌全体を覆ってしまっています。


それを読んだ空手を習いたての人が、その方法論で訓練しても伸びることはまずありません。

先にそういった華で器用な組手が先にありきでは、肝心なパワーがついていないから、組手で押されてしまうからですね。

その時に、組手方法論ばかりが蔓延している組織内にいては、「パワーをつけよう!」という考えが浮かばずに、テクで対処しようとしてしまいがちです。

しかし、パワーがないのにテクで対処しようとしても対処できないことは明白です。

それで押されてしまい、また組手に臨むもまたうまくいかずに押される。

それを繰り返すうちに空手が面白くなくなって空手を辞めてしまう、そんなパターンが散見されるように思います。

最初は凄く不器用で、テクで上手くいかなくとも、パワーをつけることを最優先して稽古を重ねて言った挙句、勝てるようになり、ついに頂点(=優勝)を勝ち取ったという例として、エウェルトン.テイシェイラ、鈴木国博、七戸康博といった歴代の選手たちを紹介してきました。

七戸

こういった人たちの共通点は、強くなる王道の訓練を続けていったということですね。

初めに華麗な組手、器用な組手ありきが王道ではないのですね。

それでも、強くなれる人は当然出てきますが、組織の全体的な底上げにはならないのですね。

初めに華麗な組手、器用な組手ありきの指導法では、全体的に難しい印象を与えてしまうからですね。

難しい印象を与えては、限られた人しか上達しないですし、アウト(=脱落者)が多いですからね。

王道の方法でなくては、たとえ強くなれても、盤石の強さを得ることは難しいでしょう。

現に松井派では、全日本大会で上位に入るのは、同じような顔ぶれではないですか。


しかも、倒すのではなく、上段ちょっと蹴って顔が少し動いたところをすぐさま決めのポーズを取れば技ありになるというような松井派の改定ルールでは、会員に猶更難しい印象を与えてしまうことは必至です。

あの改定ルールでは更に底上げがなされない、停滞感が覆ってしまうのは明白です。

あのルールをすぐさま辞めるのはもちろん、最初に華麗な器用な組手が先にありきの指導法を辞めなくては、松井派の将来は極めて危ないといわざるを得ないですね。

続きは次回に譲ります。


 

 


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