こんにちは。
前回は、2001年の極真松井派の『第2回世界ウェイト制大会』のロシアの大台頭ぶりについて話しました。
この時の日本人VSロシア人の対戦成績は6勝6敗でした。
これほどの台頭をするとは…まさに盧山師範の言われたように、ホントにロシアは「ブラジルどころではなかった」ようですね。
ピッチクノフが第7回世界大会で3位になったことで、格闘技雑誌には「ブラジルより怖い?!ロシアの時代の到来!」とも書かれていましたが、ホントにブラジルより怖い存在になりあがりましたね。
これからもロシアに注意していきましょう!
今回は、ついでのことを話しましょう。
この時が、あのエウェルトンテイシェイラ(ブラジル)のデビュー戦だったのですね。
エウェルトンテイシェイラ
エウェルトンテイシェイラといえば、極真松井派の第8回世界大会で初出場ながら3位に入賞し、次の世界大会では悠然と優勝し、第10回世界大会では準優勝をした選手ですね。
これほどぶっちぎりの選手はそういるものではないですね。
しかし、2001年の『第2回世界ウェイト制大会』ではその実力の片鱗も見えなかった、というのが正直なところです。
当時19歳とはいえ、非常に試合の基本がなってなくて、右利きなのに右の突きを出した時に、腰が切れていないので肩が前に出ていないのですね。
ガードを前に出して固めてないので、突きが撃たれ放題。
しかも、蹴りも腰が入ってないので、前蹴りを出した時にお尻が後ろに下がったままなのですね。
また、前に出ながら突きを出すという移動稽古不足のせいで、前のめりになる場面がちょくちょくありました。
こんな内容では、次のフィリォの跡継ぎにはならないだろうと思えるに充分でした。
このエウェルトンにブラジル支部長の磯部師範は、「2007年の世界大会を狙わせる。」と公言していましたが、「これでは…」と思わざるを得なかったですね。
磯部清次師範
しかし、その公言通りにエウェルトンは世界王者になったのですね!
この『第2回世界ウェイト制大会』は、その年の全日本ウェイト制重量級王者の門井敦嗣と延長2回を戦い、僅差で敗れてしまうのです。
門井敦嗣
茶帯で19歳、しかも初出場で全日本重量級王者にここまでやったのだから、天晴というべきでしょう。
しかしエウェルトンの快進撃はここから始まるのです。
この年の『パリカップ』に出場し、決勝であのセルゲイオシポフに敗れて準優勝。
そして同じ年の『アメリカズカップ』に出場して優勝。
その次の年の『アメリカズカップ』にも出場して優勝。
2003年の『アメリカズカップ』に出場して優勝。
そのまま世界大会にも出場して、木山師範に準決勝で敗れて3位に終わるのです。
しかし、その2年後の『第3回世界ウェイト制大会』では重量級で優勝。
そして周知のように2007年の世界大会に出場して、決勝で相手を悠然と一本勝ちして優勝するのです。
なぜここまで快進撃をエウェルトンは続けることができたのか?
非常に興味深いことですが、その内容については次回話しましょう。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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ではこれにて失礼いたします。
次回もお楽しみに。
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