極真空手ウェイ.ブログ

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城西支部と城南支部の稽古法、どちらが正しい?

今回は、前回の続きとして、「城西支部と城南支部の稽古方法の比較」を話していきたいと思います。

 

城西支部の「試合クラス」は誰にでも参加が許されていますから、いわば民主的といえましょう。

 

それに対して、城南支部の試合向けの稽古である「朝練」は、自力で試合上位には入れたたうえに支部長が許可を与えた人しか参加できませんでしたから、エリート主義といってもいいでしょう。

 

しかし、私としては城南支部の方法にはちょっと物言いがしたくなるのです。

 

 

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何も、城南支部のように基本、移動、型の稽古を完璧にこなさなくとも、テクニックを途中で身に着けてからでも遅くはないでしょう。

 

テクが身についてから基本を完璧にこなすことも充分に可能であることに間違いはありません。

 

それは、ことは何も空手に限らず、他のあらゆるものの習得や稽古事にも当てはまるでしょう。

 

私は中学校1年の時、英語が苦手でした。

 

しかし、2年生になった時に、ある期を境に、得意科目なりました。

 

その後、その快進撃は続き、高校時代に最高で偏差値70までいったこともありました。

 

これは何も私の自慢をするわけではなく、基本を完璧にしなくても、先にテクニックを学んでから実力を伸ばすことはできる、ということを言いたいだけです。

 

私のモラルとしては、空手で一番やる気がおきるのは、

 

「スパーリングで相手を後退させることができるようになった」

 

時だと、思います。

 

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その時が一番心に高揚感をもたらし、やる気につながることに間違いはありません!

 

しかし、基本稽古ばかりでは、ヒントも得られませんし、どのように間合いに入って攻めれば後退するのかも、ある程度のテクを身につけなくてはどうしようもありません。

 

しかも、城南支部の合同稽古でのスパーリング時間は短いのです。

 

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それでは、スパーリングでうまくいくのは重量級の選手ばかりです。

 

軽量級や中量級の選手には不利なのです。

 

そこで重量級の選手だけが、稽古をしたくなりどんどん稽古をこなし強くなっていく。

 

しかし、軽量級や中量級の人は、スパーリングでうまくいかないからどうしてもやる気が起きず、稽古から遠ざかり強くなれずに辞めてしまうか、あるいはそれほどの能力を高めることなく終わってしまう。

 

こんなシナリオは簡単に想像できます、実際にそうです。

 

89から99まで、11回連続して城南支部が選手を全日本と世界大会の決勝に送り込んだと、以前に書きましたが11回中9回は重量級の選手ですし、ウェイト制大会を見ても、入賞者を出せているのは重量級の選手だけです。

 

こういうことを鑑みれば、やはり城南支部城西支部のような「試合クラス」を創設すべきではないのか…と思わずにいれません。

 

ここで城南支部の人からは反論が出そうです。

 

「重量級の選手ばかりが有利というが、緑健児という軽量級出身で、しかも体重無差別の全日本大会で準優勝し世界大会でも優勝した選手を出せてるではないか!」

 

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その通りでしょう。

 

しかし、私はあくまでも、かれ緑健児は例外であって、彼の生きた時代の恩恵も考慮しなくてはいけない。

 

緑健児の再来をまっても軽量級や中量級の入賞者を長年にわたり出させていないのは厳然たる事実ではないだろうか?

 

というのが私の意見です。

 

しかし、かといって城西支部の方法論に対して、無批判でいていいとも思いません。

 

基本、移動、型は空手で強くなるためには不可欠の必須の稽古であり、そういった稽古を蔑ろにして、試合クラスばかりに出席していては、盤石な強さを誇ることはできないでしょう。

 

試合クラスばかりに出席して、基本、移動、型を疎かにしている選手は、腰がふらついていい攻撃をだせていないし、相手が攻撃してきたら押されてしまう、という弊害を認識しなくてはいけません。

 

そういった弊害のために、近年の城西支部出身の選手が、昔の増田章黒澤浩樹のような爆発的な強さを誇る選手が出ていないのではないか、と思われて仕方ありません。

 

なら、そういった弊害をなくすためには、どうすればいいか?

 

試合に出る人は、月に必ず10回以上の合同稽古に参加するといったことを義務化すればいいのです。

 

それよりも、こういった基本、移動、型の重要性というものを選手が強く自覚することが何よりも重要であることは間違いありません!

 

先に、私は、1年の時は英語が苦手であったがのちに得意科目になったと書きましたが、それは応用(テクニック)を身に着けてからでも大丈夫でしたし、それ以降に基本を完璧に学んだ、ということもあるのです。

 

ことは空手でも同様でした。

 

基本を完璧にしなくとも、試合のテクを学んでうまくいって、気分がよくなり、のちに基本を完璧にしていって強くなることができた、という経験があるのです。

 

これなら完璧だ!

 

と思われたものが実際は、月日の経過とともにそうでなくなるのは、どんなものにも共通する事実です。

 

80年代初頭から城西支部出身が全日本や首都圏交流試合で多くの入賞者を出すようになった。

 

でも、時の経過とともに城西支部からの入賞者が出せなくなっていった。

 

それのみならず、城南支部が活躍をしだし、城西支部が完全に押されるようになってしまった。

 

しかし、城南支部だからといって完璧ではなく、決まった人しか入賞できてはいないし、中量級や軽量級の選手の入賞者が出なくなってしまった。

 

やはりいつまでも、その完璧であると思われた稽古理論が、万年にわたり盤石ということはあり得ないのではないでしょう。

 

欠陥部分については、目を背けずに、どうすれば矯正できるかを真剣に考えて工夫をする、という行動を空手に携わる人にとっていただきたいものです。

 

ですから、強くなるための基本となる部分は変えずに、やはり「これは導入すべきではないか?」と思われたことについては積極的に導入するべきではないか?

 

と私には思われて仕方ないのです。

 

城西支部の理論だけでも駄目ですし、城南支部の理論だけでも駄目である、そう思うのですが、読者さんはどう思いますでしょうか?

 

そのことを心に提起していただいてこのブログを終わりにしたいと思います。

 

ここまでの精読ありがとうございました。

 

失礼いたします。

 

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